前回の記事で、悩むのが好きと言われるのをやめるには
自分では今どうしようもないことを
キッパリ手放すことができるようになること
と書きましたが、それには一体どうしたら良いのでしょうか?
これはまず大前提として
「自分では今どうしようもないことを不安に思うのはあたりまえ」を受け入れること。
なのですよ。
不安を無くそうとするから無くならないのであって
生きていれば不安はあるもの。そんなもの。と、受け入れる。
だって
自分では今どうしようもないものなんてどうしようもないんですもの(⌒-⌒; )
不安が無くなって欲しい。いつも安心の世界にいたい。
なんて、よく考えたら無理な話じゃ無い?
だって自分では今どうしようもないんだもの。
そんな時、悩みがちな人は何をやっているかというと
誰かに相談して不安を取り除いてもらうこと。だったりしませんか?
そう。誰かに取り除いてもらうんですよ。
それが
そのままでいいよ。
大丈夫だよ。
あなたが悪いんじゃないよ。
とかそう言うことですよね。
相談されたらそう言うしか無くないですか?
逆の立場を考えてみたら
今本人がどうしようもないことはどうしようもないのだから
いつかどうにかなるまでの間、気を紛らわせてあげるだけです。
そう、気を紛らわせるだけで事実がどうにかなるわけじゃないのですよ。
大丈夫とか悪くないとか言われて
そう思えたらとりあえずその場は安心できます。
「悩むのが好き」と言われるのは
自分では今どうしようもないことを
とりあえずの安心が欲しいだけと見られているから。
悩まない人は
とりあえずの安心ではなくて不安と真正面に向き合って
受け入れているんです。
このままじゃダメなんだ。
大丈夫じゃないかもしれない。
自分が悪いのかもしれない。
でもどうなってもそれを受け入れてなんとかするしかない。
こんなことは起きるもの。
として受け入れているのではないでしょうか?
生きていれば
どんなに気をつけていても失言をすることもあるし
良かれと思ってやったことが悪く取られたり
頑張ったことが思わぬ結果になってしまったり
思い通りにいかないことの連続です。
でもそんな中
そう言うものだしどうにかしていくしかない。
相手の受け取り方が悪いのかもしれないけれど
その人に合わせた言い方ができなかったこちらも悪い。
周りにも原因はあるけれど自分には対処できなかった。
そう腹を括っていたら不安に振り回されることはないし
好きで悩んでいるようには見えなくなってきます。
それこそが自分の人生を生きると言うことなのかも。
私が心理学でやっていた支援は
どちらかと言うと腹を括ることを促すのではなく
そんなあなたでも大丈夫。
そのままでいいよ。
あなたは悪くない。
気遣いのできない周りが酷い。
そんなことを中心にやっていたし、自分のこともそう思っていました。
一時的にでも安心して前向きになる。
自分は悪くないと正当化して前を向く。
それも悪くは無いですが、これではいつまでもこのままです。
不安と向き合うことはしておらず
不安をとりあえずどうにかしようとしていました。
これが心理学だけだと人を弱いままにしてしまう。
と言われる理由です。
自己肯定感とは「こんな自分でも良い」という開き直りでも良いんだけど
「こんな自分だからなんとかするんだ!」と腹を括る強さがあることじゃないのだろうかと
美学・哲学を学んで分かったことです。
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