相手を思いやるとか相手の気持ちになって
ということは
子どもの頃からあたりまえに
教えられてきました。
でも、相手の気持ちになるって
具体的にはどうやっているでしょうか?
こんな時は「自分だったら」こう感じるから
相手にはこうしてあげよう。
こんな状況になったら「自分だったら」
こう思うからこう言おう。
似たような状況の時「自分だったら」
こうしてもらって嬉しかったから
同じようにしてあげよう。
こんな風に
自分だったら
と、自分基準で考えないでしょうか?
もちろん思いやりの気持ちからには違いないでしょうけど
自分のその時の感覚が
相手に当てはまるとは限らないのです。
そんなのちょっと考えたら分かりそうなものですが
でも人は自分はこう考えるしか考えられないのです。
あの人はこう考えるだろう。こう感じるだろう。ということも
「自分が」考えているんですもんね。
あの人の感じ方、考え方も「あの人」が考えているので
あの人にしか分からなくて
自分は想像するしか無いんです。
そしてその「想像」は誰かの「感覚」と
全く同じになるなんてことは絶対に無いのです。
だから相手の気持ちになんて絶対に「なる」ことはできません。
なので絶対に相手の気持ちは分からない
それを踏まえた上で
分かってあげたいという気持ちを相手に示すことこそが
「思いやり」なのではないでしょうか。
決して
自分はあの人はこう感じると考えるからこうしてあげたい
を押し付けることが
「思いやり」にはならないのです。
この辺りが難しいところなんですね。
善意でやっていると感じているんだから
押しつけてるなんて思いません。
ちょっと冷たく感じるけれど
あとは本人次第。
と、突き放すことも「思いやり」だったりします。
でもその加減がよく分からない
思いやりが深い人ほど突き放すなんて考えられない。
友達なんだから
言ってあげた方がいい
やってあげた方が良い
そんなアドバイスがされたりもします。
しかしこれは「客観、主観」の視点を持って日頃から過ごしていると
自分の感じ方は絶対に他人と共有できないし
相手の感じ方も絶対に分からない
ということがあたりまえになって来て
過剰に人に入り込みすぎない
過剰に人に期待しすぎない
自然とそんな風になってくるのです。
コメント