時々、悩んでいる人を「悩むことが好きな人」と
表しているのを見たり聞いたりします。
悩んでいる人は悩まない人から見たら
「悩むことが好きな人」に見えるわけだけれど
悩んでいる人からしたら
悩むことなんて好きなわけない、もう悩みたくなんてない
と、思っているのでは無いでしょうか?
私も以前そう言われたことはあったけれど
そんなわけない!悩みたくなんてないのに!
と、思っていました。
ここではなぜ「悩むことが好き」と表現されてしまうのか
ちょっと考えてみました。
悩んでいる人とそうでない人とは
「悩む」の捉え方がそもそも違うのでは無いでしょうか。
悩み多き人の「悩み」は「不安」が多く
そうでない人の「悩み」は「迷い」だけ
じゃないのかな。
「不安」とは
- ああなったらどうしよう
- こんな風に思われたらどうしよう
- あんなことやっちゃったけど大丈夫かな
- あんな風に言っちゃったけど嫌われてないかな
- 私のせいでどうにかなっちゃったらどうしよう
など
まだ起こってないことや
もう起こってしまったことで
不安になってること。
じゃないでしょうか。
悩まない人の場合の悩みの捉え方は
- これどっちにしよう
- 行くか行かないか
とか
やるかやらないかのような目の前の選択じゃないでしょうか。
悩み多き人の悩みは「どうしようもないこと」
過去や未来、そして他人の思いとかですね。
どうしようもないことだから不安になってあたりまえで
いつまでも永遠に答えなんて出ない。
悩まない人は今目の前のことをどうするか決断を迷ってる。
そしてどうするかの選択肢は自分にある。
自分で決められることなら悩みがいはある。
絶対に答えは出せるし乗り越えることができる。
悩まない人はそもそも自分で決められないこと
今どうしようもないことでそんなに不安にならないのでしょうね。
私も以前ある講座に出た時
「自分で決められないこと今はどうしようもないことは考えない!」
と、言われたことがありました。
でもそれって正論で
どうしようもないことを
考えないことができるからこそ悩まないのであって
どうしようもないって分かっていても不安になってしまって
それがやめられないから困っているのです。
つまり自分では今どうしようもないことを
キッパリ手放せるかどうかが
悩み多き人になるのかそうでないのか
と言うことでは無いでしょうか
それにはどうすれば良いのかをちょっと考えてみました。
次の記事に続きます。
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