先日、息子の愚痴を聞いていました。
特に嫌ではないのですが、なんだか自分が責められているような気になったんですね。
どうにかしなくては!と思って、どうしたらいいんだろう。何をすればいいんだろう。
と、ぐるぐるしながら、一生懸命考えて、「こうしてみたら?」
と、言っても、「そんな風に言われるのは嫌なんだ」とか言われる始末。
一生懸命考えて答えてるのになんだよー。と、だんだんイラっとした時。
あ、これ、「私がなんとかしてあげなくちゃ」になってるわ。と、ふと、気づきました。

こういう気づきは大切で、これが「俯瞰の視点」のひとつです。「自分は今こうである」と言うね。
これまでの経験上「私がなんとかしてあげなくちゃ」が発動すると、あまりいい方向へは進みません。
だって、相手は私になんとかしてほしくて話しているのではなくて、愚痴ですから、ただ話を聞いてほしいだけなんですね。
たとえ「どうすればいい?」と、言っていたとしても、本心からこちらに答えを求めているのではなくて、本人の中で葛藤しているのかもしれません。
愚痴の時と真剣な相談の時って違いますし、大抵親に言う時は甘えが入っているので、ただ、今の等身大の自分を受け入れてほしいんだと思うのです。
こんな自分でもいいよね。という。
年齢にもよりますが、おそらくもう自分で考えて対処できるし、普段の様子からして、私が余計なことを言うよりも、自分で葛藤しながら、試行錯誤して、そして自分で「納得できる答え」を見つけるんだと思うのです。
もしかしたら答えはある程度見えているのかもしれないけれど、そこへ行くのが怖いとか自信が無いとかかもしれません。
「私がなんとかしてあげなくちゃ」が発動したら、それに気づいてふと立ち止まってみてください。
余計な手出しはしないで、本人の葛藤や試行錯誤の、上手な通り道になるのかいいのかもしれないなあ。
と、思った日でした。

そして、もしかすると、これが本当の意味で「見守る」ということなのかもしれません。
子どもが自分で葛藤し、自分で決めて、自分の人生の「始末」をつける。その「責任」を奪わないで、信じて待つ。
これって結構難しくて、しんどいのですけどね。
「私がなんとかしてあげなくちゃ」を手放した時、初めて相手への本当の敬意が生まれるのだと感じたのでした。
あなたも、大切な誰かの代わりに、始末をしようと思い過ぎていないでしょうか?

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