「我慢」の先にあるのは「感謝」ではなく「絶望」だった

女性は自己犠牲をしがち。しかも無自覚で。
それは、自己犠牲が当たり前だと思って育っているから、母親もそうだったから。なのかもしれない。

我慢すればその先に何かいいことがある。今だけ子どもたちのために、夫のために、家族のために。
本当にその先に「何か」はあるんだろうか。

我慢は相手にはわからない。何も言わずやっているのだからそれでいいだろう。と、「あたりまえ」に思われる。

まず、お母さんが(妻が)我慢して頑張ってくれているんだから、自分も我慢して頑張ろう。とは、ならない。
そこに失望が生じる。

こんなにやってやったのにどうして??

自己犠牲は無意識のうちに見返りを求める。こんなに我慢して頑張ったのに。
私がこうしたんだから、あなた(たち)もこうしなさいよ!!と。

ある種のコントロールだ。

これらは、自分らしい生き方からは程遠い。
ここから共依存が生まれたりもする。

「色」と「着物」はそんな外部の基準を脱ぎ捨て、自分らしい生き方をまとうための道しるべ。

もう、我慢と頑張りの世界はやめちゃおうかな。やめてもいいのかな。でも本当に大丈夫?と、思うなら、そこにあるこの扉を叩いてみてね。

りょうこさんは、優しく、なんでも受け入れてくれます。とか、わかりやすく順序立てて教えてくれる。とか、言われます。

自分で言うのもなんだけどさ。
まあ、本音で話しても止めないから。好きなだけ好きなこと話してね。

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